ときめきインターネット

 

最高のブログを見つけてしまった。それは特定の誰かを探そうという気は全くなく、そもそもひとを見つけるつもりは一切なく、広大なインターネットの沼に腕を突っ込んで触れたものを引き揚げたにすぎない。

わたしは自分が高校生のときのインターネットがだいすきなのだけど、インターネットに対しての宝物を探すような気持ちは、そのときをピークに落ち着いてきてしまった。その頃、わたしがインターネットで探していた宝物は、主に個人が運営しているブログである。それも素人の女の子(たいてい、ブログで日記をつけているのは女の子だった。なんでなのだろう)が書いているものすごく個人的な日記だった。かなり覗き見的趣向が自分の中に強くあるのは否めないが、恋愛含む人間関係の背景にあるそのひとの考え方がにじみ出ているのがすきだった(余談だが、その頃読んでいたブログで美容師を目指していた人をふたたびSNSで偶然発見し、今髪を切ってもらっている)

でも、まさか二十七歳でこんな宝物見つけちゃうなんてって思うくらい、まさにわたしが探していたようなブログと出会うとは思わなかった。しかも、今まで読んだどんなブログよりその誰かはわたしに似ていた。今まで、これ以上に自分に似ていると感じる人とリアルな世界でもバーチャルな世界でも出会ったことがなかった。ブログを読む限り、彼女がぶち当たってきた人間関係(主に恋愛)やその構築の仕方、性格的におもしろいと感じるもの、考えてしまうこと、興味の方向性が似ていた。

そして彼女は文章がとても上手だった。(性格的や考え方の近いわたしだからよりそう思うのかもしれないが)彼女の考えていることが手をとるようにわかり、文章はわかりやすさを保ちつつかわいらしさやちょっとした切なさみたいなものもあり、そういう人間くささがいいと思った。彼女は短歌をしているようで、納得した(文章を書く/書いている経歴も自分と重ねてしまう)。

 

わたしは今まで特定の誰かを強烈に欲するということは、片手に収まる程度にしか起こったことがない。この人と必ず友だちになりたい、と思うこともないし、誰かを遊びに誘うこともほとんどない。なので、友だちになりたいと思う人が現れたとき、上手に友だちになれない。自分の気持ちが強すぎて、接触した瞬間いろいろ溢れてフリーズし端的に言えば絶対にキモいので逆に遠くから見つめるだけで終わる(こんなの自己中心的視座から人間関係を見つめることしかできない童貞と同じなのはわかっています、でもなんで?)。誰だって自分に興味を持つ人が現れたら多少なりとも気になったり、うれしいと思うのは理解できるし、素直にあなたが気になっています、とほがらかにしていればいいのに絶対にできない。むしろ真逆の態度をとってしまう。この部屋で私があなたに一番興味があるのに、一番遠くのこの席を選んだのはそういうわけです。

しかもなんと彼女は無防備なことに各種SNSをブログに公開していたのだ。ほんとうは全部フォローし入念にチェックしたかったけれど、一旦Twitterのみ(Instagramには鍵がかかっていた。それもすごく理解できる、Twitterはみんなが集まるリビングだけどInstagramはなんとなく個室のようなプライベートを感じるので)フォロー。

 

 

 

そういうわけで、わたしはこの何でもない六月の平日を静かに興奮しながら過ごしている。しかもさっきTwitterみたらフォロー返されていた。しかも結構前のツイートもいいねされてて、しっかり読んでからフォローする派なのもめちゃめちゃ共感した。もう小技が全部キマってくる。ああもう無理だ……わたしを見て/わたしを見ないでのカードが毎秒毎シャッフルされてる………

あと本当にキモいのはわかっているんだけど、彼女のブログが最高だったのでわたしもブログを再開した。実はわたしもこの「急所」というタイトルで三回くらいブログを開設している。ひさしぶりに長い文章書いたら、むずかしくてとても時間がかかることに驚いている。中学生のときは、塾の帰りにいつも書いてたのにね。リハビリも兼ねて、気が向いたときにかけるようにする。