うらやましいひと

大学生のとき、友だちから紹介されたバイトで荒稼ぎしていた時期があった。内容は街の電気屋の入り口あたりで景品の当たるガラポンを来た人全員にやらせまくり、景品を渡し、その隙に社員が携帯電話の勧誘を行うというもので、バイトがやるのは大声を出す(そしてガラポンをやらせる)ことだった。なぜか電気屋は服装規定がめちゃくちゃ厳しいので髪の毛は黒染めスプレーでカチカチに固め、スーツを着て働いていた。爪も少しでもピンクだったりピカピカしていると怒られた。わたしはバイトに対して最低限やって即帰る方針を取っていたので、ハイハイと思って適当にやっていた。与えられた業務以上に頑張る気は全くなかった。遠い店舗に行くときに空港に行くときのようなバスで移動できるのがちょっと楽しみだったり、変なラブホが近くにあるとか、その辺の子どもと喋ったり、そんなことばかりだった。

誘ってくれた子は高校の同級生だった。一年生のときにクラスが同じで仲良くなり、部活も同じで、ものすごくおもしろくて人望もある子だった。数学で確実な赤点を取ったときにお母さん(めちゃクセ強い、カレーがおいしい)への恐怖から他の子のテストを借りて名前を書き換えて見せていた。高校ではずっと一緒だったけど、働いているところは見たことがなかった。そんで、驚いた。彼女は社員がやる携帯電話の勧誘について完璧にマスターしていた。景品コーナーに案内する際、アンケートの間際にもう勧誘を始めていた。別に誰もそれをやれと言ったわけでもないし、時給が上がるわけでもなかった。ただ彼女は、社員に教えてくださいと頼みスクリプトを作り練習し、自ら売り込み要員として活動の幅を広げていたのだ。そして、シフトが被ったときにはびっしり細かい字で書かれた手書きのメモを渡された。「もし困ったらこれを見れば携帯の勧誘わかるから!」と言われた。通常、業務は募集がある店舗に都度出勤希望を出すのだが、彼女はいろんな店舗から指名が入っているようだった。そりゃそうだ。

 

彼女は社会人になってからもすごかった。彼女の仕事は新規開拓の営業だった。とにかく電話をかけまくり、担当者に死ねと言われても「生き返りました!」と即かけ直し、飛び込みで訪問してドアを閉め返されても瞬間開け返す。一番ヤバいと思ったのはインフルエンザで出勤停止になったときテレアポリストを持って帰って家でテレアポをしていたというエピソードである。それは休みなよと思った。

 

別に彼女は最初から営業がしたい!と思っていたわけでもない。携帯電話が売りたかったわけでもない。でも、いつだってめちゃくちゃ頑張れるのだ。わたしは大学生のとき彼女をみて「こんなに頑張れる人っているんだ」と思った。だってバイトだよ?!時給が決まってて、責任なくて、とりあえず与えられたことをやってればお金もらえるよ?!と思っていた。それと同時に、わたしもまあ社会人になったらしょうがなくやるんだろうと思った。さすがに周りの圧力に屈して自主的に勉強したりせざるを得ないだろうと思っていた。

 

でも違った。わたしはやらなかった。大学を卒業してすぐ、わたしも彼女と同じく営業職として就職し社会人(ていうか社会人てなんだよ、学生の頃もふつうに税金払ってたんだから社会に参加してるだろうが)の火蓋が切られた。就職先はインターネットの広告営業だ。WEB広告の効果計測はさまざまな専門用語があり、それらほぼ全てがカタカナである。覚えるのにめちゃめちゃ苦労した。また効果計測はすべて計算によって数字で弾き出される。高校二年生で今後二度と数学と触れ合わなくていいと思っていたので絶望した。あと何回教えてもらっても計算がよくわかんなかった。会社についても、その業務がすごくやりたい!というわけではなかった。インターネット広告にもそんなに興味がなかった。でも人事のひとがおもしろいし、最初に受かったし行っちゃうか、と思って行った。アプリ広告の部署に配属となった同期も頑張っているし、わたしも頑張ろう!と最初は意気込んだ。基礎的な計測用語やルールを覚えるのはもちろん、コロコロ移り変わる広告ツールや、効果計測基準、システムなど、ニュースやFacebookを追っていた。でも全然おもしろくなかった。わたしはたぶん、三ヶ月くらいでもう飽きて勉強するのをやめた。そもそも携帯ゲームをやったことがなかった。先輩たちは別に元からゲームが大好きというわけでもなかったが、みんな当然のようにランキング上位のものや担当しているアプリで一通り遊び、そのアプリがどのように課金させる仕組みなのか、他社の広告は何が出稿しているのかなどをチェックしていた。もちろんわたしもやりなよ、と言われたが結局一回もやらなかった。携帯ゲームに時間を割くのは無駄だと思っていた。だって絵だもん。あと、業務時間外に興味のないことをしようという気が一ミリも起こらなかった。自分のためなのはわかっているが、まったく興味がないことにわざわざ主体的に時間を使う気が起きなかった。普通に数値計算で効果測定をして戦略を練る広告運用という業務が向いていなかったのもあるが、それにしても頑張ってなかったと思う。

広告運用は土日に効果が上がるのとアプリのリリースはだいたい土日のため担当アプリのイベントやリリースが重なると土日も運用をしなければならないことがあった。そういうとき、わたしは泣きながら運用をしていた。わたしの大切な人生の時間のうち一週間の七分の五を仕事に使っているのに残りの二も好きでもない仕事をやらねばならないのかわからず悲しくて泣いてSlackで即報告してまた泣いた。

もちろん業界にも業務にもまったく興味がなく、なにがどうなろうとマジでどうでもよかった。よって営業としてのノルマである営業目標についてもまったくどうでもよかった。達成できなければ仕方ないし、達成できても今月はいけたのか、フーンと思っていた。

 

こんなことをしていても時間の無駄だと思って仕事は一年半でやめた。そしてずっと通いたかった学校に行くことにして卒業、転職し今に至る。わたしは今、仕事で感じる「悔しい」をはじめて理解しているところである。できなくて悔しい、もっとできるにはどうしたらいいんだろうとか、自分の足りないところはなんなのか、切実に考えるようになった。先輩の仕事がうらやましかった。そして、もっとできたら絶対にたのしいと思えるようになった。みんなこんな風に感じてたからあんなに頑張れてたのかなと、少し思った。

 

 

例の彼女はちょっとすごすぎるが、みんなきっとものすごくやりたかったこととか自分に向いている仕事、というわけではない仕事を毎日やっているんだと思う。新卒で自分にぴったりの仕事を選ぶなんてことは、よっぽどインターンをやり込むか、運がいいかなどちらかのように感じる。それでも、みんな五年六年と年を重ねて仕事をしている。休みの日に時間を割いて勉強したり、自主的に頑張っている。そういうひとがわたしはうらやましかった。そういうひとは、どこに行ってもなにをしても必ず頑張れるから。わたしは頑張れなかった。頑張れないからやってみたいことを考えて仕事にしてみるしか選択肢がないと思った。