自分ひとりの部屋が必要な理由

朝、久しぶりにまとまった文章を書いたらなんだか頭の中がとても整理された。大学のとき、文章を書くことと出会って本当によかった。なぜこんなふうに文章を書くと癒されるのか、それはわたしが喋って物事を伝えるのが苦手だからに他ならない。わたしは小心者で、すぐヘラヘラしてしまう。かなしかったり、ムカついたりしても、自分の感情を半分無視しているところがある。こんなめんどくさいものを相手に持たせるのに気後れしてしまう。夫は、わたしが怒ったり悲しんだり出来るこの世で数少ない他人だ。(どうやって彼はわたしの心の中に入ったのだろう?)そうやって、普段はヘラヘラしているわたしだが本当はこんなふうに2,500字のレポートが余裕で書ける文量で自己分析するようなネチネチした思考の持ち主だ。ヘラヘラしてごまかしているうちに、自分が何を感じたのか理解するのにとても時間がかかるようになってしまった。それを毎回ゆっくりゆっくり、自分がわかるように自分自身に説明してあげてやる。

 

さて、自分ひとりの部屋がなぜ大切なのか。それはこのヘラヘラした性格にも起因している。おそらく、わたしは周囲の気分を非常に受け取りやすい性格で、イライラしたり不機嫌な人の近くにいるのがとても苦手だ。すぐに毒気に当てられて、たぶんわたしのせいではないのに何故か反省している。フィーリングをすぐ吸い取ってしまうので、自分が楽しいと感じているのか相手が楽しそうなのか、その境界線が非常に曖昧なのだ。なんとなく楽しい感じだったなあ、という会も、よく考えてみたらまったく楽しくなかったことが何回もある。なので犬とか、そういう動物のそばにいるとちょっと安心する。とにかく他人と過ごすと、否応なく他人が自分になだれ込んでくるので、主語がわたしではなく、わたしたちになってしまうのだ。そんな時間を過ごした後、わたしは自分が誰で何を感じ、何を考えているのかよくわからなくなる。わたしはずっと自分の実態を掴めない。明るいのか暗いのか、せっかちなのかのんびりなのか、人が好きなのか嫌いなのか、なんにもわからない。だから、言葉で仕切りをつける。わたしは、で始まる文章を書いてわたし自身にひとひしきり読ませてやる。そうすると、忘れかけた自分の顔を思い出せる気がする。