ウーン

約三十年くらい生きてわかった自分のこと、

 

実はあんまり自分の顔とか体型に興味がない

同じ理由で食べるものとかも結構なんでもいい

かわいい人間の小エピソードを愛する

人間の心理には心を動かされるが関係性にはあまり興味がない

声のいい人間がいちばんすごいと思っている

生涯ただひとり、初の推しは「東京ガールズブラボー」のサカエちゃん

夢見がちで頭の悪い若者が自己陶酔してはちゃめちゃになるのはだいすきだが、そういう若者を見つめて熱烈な応援歌を歌う客観的な若者が嫌い

嫌いなものは、生のトマト、情熱的な若者への応援歌、地下鉄、傘をさすこと、寝不足、常に監視管理されること、数字の管理、細かい確認、不機嫌で他人を支配する人間、ミスの許されない書類

自分の中に全く存在しない要素なのに、風の谷のナウシカやアキラ、インターステラーみたいな摂取してるのに手からこぼれおちて全体が把握できないようなデカいSFがすき

でも個人の気質は生活に収まるような小さくてさりげなくて感情的なもの

仕事をがんばりたいと思っているが心の底では人間が一番偉いしこんなものはどうでもいいと思っている、義務を捨てて心のままにみんな過ごせばいいと思っているが習慣や義務をしっかり守れる人間の美学がすき

考えるのが苦手だからそれを克服しようと中学生くらいから無意識に本を読んだり文章を書いたり多少考えなければならない仕事をしている、強制的に考えないとひとより圧倒的に考えなくなる自信がある

仕事のアウトプットは視覚が重要なのに視覚のインプットが苦手かもしれない、現実に存在する細部(数字や空間的なものを含む)を見るのが苦手、心が打ち震えるのはいつも文章か音楽

もしかしたら視覚のこと、記号くらいにしか捉えてないかもしれない最悪の気付き

やらなきゃいけないことが二つあるとどっちかをやる、ひとつだけだとやらない

 

 

もしかしたら、物理的に自分の体に触ったりケアしたり、特に触覚や味覚、嗅覚を信じることでわたしは変わるのかもしれない その感覚を雑に扱っているからこそ もうすこし地(現実や、リアルに存在するものに関心を持つ)に足をつけたら何か変わるのかも?、ずっとそう思っているけど結局できないしどう変わりたいのかわからない 変わるというかよりしっくりくる感じを見つけたい 現代のシステムに向いてない はやく機会が確認とか数字とか、そういうのをすべてやってくれるようになってほしい そして多分私はこんなに仕事を頑張るタイプではない、だってあまり仕事を人生の最重要事項だと思っていないし、義務でやってるけど結局心の底ではそんなに打ち込むほどのものではないと考えている パターソンのアダムドライバーやアンリルソーのような人生が理想 仕事というより、自分を拡張したり言いたいことを伝えたりする技術があると幸せになれると思う もちろんそもそも、伝えたいと思うなにかを感じることもとても大切、なにを素晴らしいと思うかでいうと音楽や文章の場合が多く、それをどう翻訳するのかがわたしの悩んでいるポイントなのかも 誰に伝えたいわけでもないけど、そういう人生観なのかもしれない

 

こだわりのある人に憧れがある、例えばうちの父みたいな食べるものや読む本やスタイルにこれがいいとしっかり言える人に憧れがある 伊丹十三みたいな男 そういう人の方がおもしろいし、大切にしているものや思想がわかりやすくてコミュニケーションがとりやすいよね

 

わたしってどんな人間だか、自分でずっとわからなくて、ほんとつまんないな〜って思っていて、そういう人間だから人より勉強しなきゃとずっと思っている、何かを習うのも好きなんだけどさ

 

将来ピアノを買いたいな!

人生で何人か、この人と一緒にいるのがつらいから離れようと思って意図的に離れた人がいる。実はわたしは、仲良くなるのは下手だが害のある人物を察知して避ける能力に長けている自負があるのでヤバいと感じたら素直に離れている。心がきれいで変わり者はすきだよ!

 

そういう人のひとりと、まだSNSではつながっていて、わたしはなんとなくその人の様子を経過観察している。その人とは高校生くらいのときに知り合った。顔が抜群にかわいくて、頭もよくて才能もある器用な人だった。なんでも持っているように見える感じの。人からもうらやましいがられるだろうなと思ったし、本人もそう思っていた。その人とは何回か遊んだり、一緒に何かをつくったりもした。でも、その毎回で心が蝕まれる感じがした。腐ったみかんに生えたカビが隣のみかんにゾロゾロ移動しているようなゾワゾワした感覚がする。そんな人はじめてだった。その人が誰かに対してかける言葉はすべてが冷たくて、ベースに「わたしを認めて」という感情が流れていた。わたしを見なさいというメッセージが振る舞いや言葉の端々から溢れていた。だから(そのときは)わたしを貶して「あなたはそうじゃないもんね」という言葉をわたしから欲しがっていたのだと思う。東京生まれの顔がきれいで手足が細くて頭が良く、英語も喋れて絵も描ける、

泣き虫で変わり者

諸事情で入院することになり、一週間ほど寝て過ごした。とにかく暇なので映画をひさしぶりにたくさん観た。計12本観た。観たい映画はその倍くらいストックしてあったけど、やっぱり時間が足りなかった。あと集中力、身体が万全じゃないというコンディションもあるのだろうか。

監督作品をまとめてみようと思って、ロメールを初めて観たけど、かなりよかった。映画を観て、自分の中のこういう空気がいいっていう選択肢が増える感じがすき。映画を観て得られるものは色の組み合わせとか話の組み立て方とかそういうのもあるけど、いちばんは空気感な気がする。どの主人公の女の子も生きるのがはじめてで、うまくできなくてぎこちないけど精一杯で、すぐ泣いちゃうのが可愛かった。あとお洋服を着回しているところや、肩の紐が片方落ちちゃってるのにヘルシーに見えるところ、部屋のインテリアも妙にリアリティと抜群の色合わせですてきだった。大学生の頃に観てたらもっと影響されたかもしれない。

 

他にも、「はちどり」「十七歳の瞳に映る世界」がかなりよかった。丁寧な作品だった。「沈黙」も物語はまあ当然おもしろいんだけどとにかくセットが凄すぎて夢中で観てしまった。昔の拷問の道具もそうだし、殿様の部屋の中とか、器とか、お寺の中庭が綺麗で、そういうのばっかり観てた。映画をもっといっぱい観たいな、しかも一人で観たい。一人暮らしだったら仕事から帰って映画を一本観ながら晩御飯食べて寝るのにな、そういうプランBがいつまでたっても忘れられないね!

自分ひとりの部屋が必要な理由

朝、久しぶりにまとまった文章を書いたらなんだか頭の中がとても整理された。大学のとき、文章を書くことと出会って本当によかった。なぜこんなふうに文章を書くと癒されるのか、それはわたしが喋って物事を伝えるのが苦手だからに他ならない。わたしは小心者で、すぐヘラヘラしてしまう。かなしかったり、ムカついたりしても、自分の感情を半分無視しているところがある。こんなめんどくさいものを相手に持たせるのに気後れしてしまう。夫は、わたしが怒ったり悲しんだり出来るこの世で数少ない他人だ。(どうやって彼はわたしの心の中に入ったのだろう?)そうやって、普段はヘラヘラしているわたしだが本当はこんなふうに2,500字のレポートが余裕で書ける文量で自己分析するようなネチネチした思考の持ち主だ。ヘラヘラしてごまかしているうちに、自分が何を感じたのか理解するのにとても時間がかかるようになってしまった。それを毎回ゆっくりゆっくり、自分がわかるように自分自身に説明してあげてやる。

 

さて、自分ひとりの部屋がなぜ大切なのか。それはこのヘラヘラした性格にも起因している。おそらく、わたしは周囲の気分を非常に受け取りやすい性格で、イライラしたり不機嫌な人の近くにいるのがとても苦手だ。すぐに毒気に当てられて、たぶんわたしのせいではないのに何故か反省している。フィーリングをすぐ吸い取ってしまうので、自分が楽しいと感じているのか相手が楽しそうなのか、その境界線が非常に曖昧なのだ。なんとなく楽しい感じだったなあ、という会も、よく考えてみたらまったく楽しくなかったことが何回もある。なので犬とか、そういう動物のそばにいるとちょっと安心する。とにかく他人と過ごすと、否応なく他人が自分になだれ込んでくるので、主語がわたしではなく、わたしたちになってしまうのだ。そんな時間を過ごした後、わたしは自分が誰で何を感じ、何を考えているのかよくわからなくなる。わたしはずっと自分の実態を掴めない。明るいのか暗いのか、せっかちなのかのんびりなのか、人が好きなのか嫌いなのか、なんにもわからない。だから、言葉で仕切りをつける。わたしは、で始まる文章を書いてわたし自身にひとひしきり読ませてやる。そうすると、忘れかけた自分の顔を思い出せる気がする。

 

自分ひとりの部屋

ゴールデンウイーク、なんとか有休消化率を上げたい弊社の方針から、連休に挟まった平日を強制有休消化日として指定してあるので今年は10連休だった。休みに休みまくった結果、労働への「やらなければならない」謎の使命感から解放され、無事人間に戻れた。二月の終わりくらいからほんとうに忙しく、三月四月は残業100時間は確実に超えており、働くのが嫌すぎて誰かにちょっとでも指の先でつんとされたら泣いちゃうとこだった。三月の一番忙しい山の週で、実家のわんこが死んでしまった。朝の三時にタクシーで実家に帰り、わんこをみて、そこからまた朝仕事に向かった。

 

それからもうほんとうに残業するのをやめようと思った、ていうか残業代の出ない残業時間てなんですか?自由時間なのでもう帰ります。とは言っても仕事が終わらないので夜10時までは確実に仕事をするのですが、そのかわり朝はやく行くのをやめました。馬鹿馬鹿しいので……朝10時に家を出ればいいので、そこまでの時間はわたしだけのものです。

 

わたしだけの時間があるというのがどれだけ必要だったのかようやくわかりました。二年前に結婚して、一年前から仕事が始まり、そこからはわたし一人の時間をなかなか作るのが難しかった。夫は出来るだけわたしといたいらしいので、休日は二人でテレビを観たり散歩をしたり、お出かけしたりします。わたしももちろん一緒にいたいし幸せな時間なのですが、平日は朝起きて仕事に行き、夜帰って寝るだけの生活なので、仕事が始まることによってそれまで平日に確保していたひとりの時間がほぼ消滅しました。

夫はわたしと興味のあるものが全然違います。夫の興味のあるものを観る時間もそれはそれで楽しい。好きになったものもいくつかあります。しかし、心ゆくまで時間を気にせず誰にも邪魔されず自分の好きなことをしたり、そのような世界について考える時間が欲しかった。

結婚する前まで共に生活していた実家の人間はそれぞれ単独プレイで各々好きなことをするタイプで、ご飯は一緒に食べて少しおしゃべりなどするものの、そのあとはまた各々……というふうに実に気ままだった。わたしは自分の時間をその頃通っていた学校の分野の勉強に費やしたり、一日5本程映画を観て考察を書いたり、自分の気持ちを整理するための文章を書いたり、そのようなことに大半の時間を費やしていました。ほとんどテレビは見なかったし、昼寝をしたり、今みたいに日常的に外食をしたりすることもほとんどなかった。生活の時間の使い方がまるきり変わってしまった。

以前の自分ひとりの時間がわたしの精神安定剤だったようなのです。健康なとき、なぜ自分が健康なのか人は気にも留めませんが、不具合が発生したとたんあちこち見回して確認するのはなぜなんだ。ヴァージニアウルフで言う「自分ひとりの部屋」が、完全になくなったとは言わないが面積がかなりせまくなってしまったのです。

 

毎日が本当に楽しくなかった。なんのために長時間生活のほとんどをささげて誰かが必要なことをしなければならないのか(わたしの必要はわたしですら満たせていないのに)。でも去年はそれに抗う元気が残っていなかった。考えるのがめんどくさく、自分が今どのような状態なのか俯瞰で見るのが非常に難しかった。ただ、植物に水をやるように、休みをたっぷり取ると脳にシワがギュッと戻り(それでもなんだか自分がとても馬鹿に思えて仕方ない。考えるのがめんどくさい、わからないことを追求できない)、手元しか見られなかった視界が半径5メートルくらいまで広がったような感覚。音楽がたのしい、本がさくさく読める。新しいことをはじめたい元気が戻ってきた。

 

この状態をできるだけ維持するために、なるべく働かないことを決意した。個人的なサステナビリティを守るために朝の無駄な残業はしない、もちろん夜も。あれだけやってみたかった仕事なのにすこしさみしいけど、わたしにとって大切なのは仕事や、仕事内容ではない(しかし本当に大切なものはわからない。もう少し生きてみないとわからないのかも)ことや、思ったより余暇の優先順位が高いこと、そして薄々わかっていたけれどひとりでいる時間とても大切なことがはっきり認識された。仕事人間に憧れた、目の前のものに夢中になって何もかも振り切れる人に憧れがずっとあった。でもわたしには仕事以外に捨ててしまうにはあまりに大切なものがいくつかあり、それはこの仕事を目指す間に起きた結婚や家族の死が大きく関わっている。すべてを捧げてみて考えようと思っていた矢先に、あれだけ働いた父が完全介護で家にいたいと願ったことや、自分で選んだひとと生活をつくったり、持ち物が多くなってしまった。

いまの自分にとっての大切なものの中に、夫や夫と作る生活の時間があるのはわかっていたが、氷山の水面下にはド広い「自分ひとりの部屋」がそれを支えている、この文章を書く時間を含む。今回は水中に潜って宝探しをしたような、そんなゴールデンウイークだったのかも。

 

消滅可能性都市

一月のはじめ、旅行ではじめて山口県にいった。飛行機に乗るのもひさしぶりで、関東から出るのもひさしぶりだった。二泊三日だったが天気にも恵まれた。下関では200円でぷりぷりのウチワエビやとろとろのノドグロの炙り、口の容量と同等のクエの刺身(喉に詰まらせた)、当たり前のようにどこの店でも飲めるふく汁(山口ではふぐのことをふくというらしい)を飲んだり、そもそもそこかしこにひろがる海がどこもとても綺麗だった。そりゃー海鮮おいしいよ!角島大橋も、角島の海岸も、緑がかった透明な青ですてきだった。元の隅神社では大きな岩の崖の上にひとつだけお墓があって、それが心に残った。夫が崖のあまりにもギリギリに立つので本気で死んじゃうんじゃないかと思ってそわそわした。地元の居酒屋では地酒(獺祭がめちゃくちゃおいしかった……)と「きんたろう」というキンメの揚げ物を食べた。この地域ではよくある居酒屋メニューらしい。めちゃくちゃ酔っ払って寝た。

二日目は萩の街を観光した。偉人の生家などの文化遺産が多く、街全体に昔のままの建物や街並みを保存しておこうという意志があった。伊藤博文の家と松下村塾を見る。昔の家はとにかく庭が広い。広いのだけどすべての部屋の仕切りがゆるくてモンドリアンの絵のような四角の中に四角を詰めて平面構成しているような感じ。松下村塾は思ったより小さかった。神社と一体になっていて、どこも古いけど丁寧に掃除をされていた。わたしが外国人だったら「日本のうつくしさ」みたいなものを体感で理解できるような良さがあった。たとえばやや下を見つめる菩薩の目、凪いだ水面、さらさらで透け感のある障子の質感。普通の民家も、大きな蔵や昔の家独特の四角い平面構成みたいな窓、年季の入った深い飴色の木の壁がならぶ。あとなぜかこの地域ではどこも瓦の色がオレンジ色だった。萩焼きと関係があったりするのだろうか。あとはよくみかんが木になっているを見かけた。名産物だそうだが、普通のひとの家でもみかんを育てているのが印象に残った。そこから出て秋吉洞に。カルデラの風景はすこしモロッコを思い出させる。ずっと先まで何もない景色、実はそんなに見たことがないのかもしれない。秋吉洞はとにかく深くて広くて、洞窟内は明治初期に初めて調査されたらしく、こんな広い場所が明治時代までひっそりしていたのかと思うと冒険て案外どこにでもあるのかもしれない。萩がわたしにとって異国であるなら秋吉洞やカルデラ異世界という感じ。宿でフグのフルコースを食べる。食べ物がずっと美味しい!

三日目は下関に戻り市場で寿司を食べまくったり、橋を渡って門司港まで行ってみたり、お土産をたくさん買って帰った。

 

 

山口県はふだん暮らす関東圏とは全く違う場所だ、と思える景色や食べ物がたくさんあったように思う。とくに街中にちらほら見かけるみかんの木に、その印象を持った。

空港のまわりは全国展開のドラッグストアやらチェーンの飲食店(長崎ちゃんぽんがたくさんあった!)が多かったけど、海のそばや山間では家がぽつんぽつんと並んでいるだけのすばらしい景色だった。ただし、そういう場所はほとんどが消滅可能性都市だ。あまりにも人を見かけないので、この地域の空き家をすべて潰したら更地に戻るんじゃないかとも思った。情報がつながっていると便利をもとめてすべての場所が均一化していく。たとえば明治や大正のあたりの昔の旅行はかなり不便だとは思うが今の数百倍おもしろかったんだろうなとよく思う。ほとんど冒険のような感覚。前情報なしでおいしいご飯屋さんを訪れた先の宿で聞いたり、粗いモノクロの写真や文字でしか知らない場所を実際に体験すること。旅行ではその地域の条件に紐づいた食べ物や家や習慣などの文化をもっと見たい。一方で異文化が失われ均一化された場所には魅力を感じないが、人が住み生活する上ではそうならざるを得ないとも思う。古い日本家屋を美しいと思うと同時に不便と思うのと同じ。

特に萩の街では「すでに近代日本は自分にとって異国になっている」という感覚に衝撃を受けた。萩の街並みは新鮮でうつくしかった。これが日本なんだ、と感じた。普段見ているものとはまったく性質の違ううつくしさがあった。わたしだっていつも、日本にいるはずなのに。たぶんわたしが普段暮らす場所は、もう魅力ある日本の街ではない。きっと便利でつまらない場所。世界のどこにでも広がる名前のない場所になっているのかもしれない。

 

とにかく山口県に住むなら萩がいい、日本家屋を改装して丁寧に拭き掃除しながら暮らしたい。そのあとはお茶をいれてみかんを食べながらひと休みしたり。あと、わたしが山口県に宿を建てるなら五部屋くらいの小さな宿にして、器は萩焼きの器にこだわって地元の作家から買う。

 

山口で感じたこと、まとまらないな〜

たのしかったです。おわり!

2022

正月休みが終わった 

とにかくなぜか毎日ものすごく眠くてたくさん寝た 非常にスローな日々の中で、わたしは再び確実に人間ぽくなった ついでに言えば夫もおなじく人間ぽくなった ふたりとも脳みそが一段階つるっとしたようにずっとニコニコして、お互いにやさしく、いつもよりちょっとだけふざけていた こんなふうにずっと過ごしたいのにな

朝から晩まで働いてるときに日々感じる欲求は、寝たいとか休みたいとか帰りたいとか、マズローの欲求で言うと一番下のでっかい括りに該当するものばっかりでTwitterで「欲望は生きるちから」という文言を見たが本当にその通りである たくさん休んで頭が正常なうちに、なにかを感じたエピソードについてここに残しておく

 

01.お年賀、アロエの株分け

二日はわたしの実家に夫とふたりで挨拶に行った 夫は事前にわたしの家といとこの家にお年賀を買っておいてくれて、それを渡した 家ではたくさんのご馳走が出て、みんなで笑いながら食べた 帰りにお母さんはおいしそうなカステラをくれた 赤い包み紙で、両端に卵の形のシールが貼ってあった 

それと、帰り際にアロエを株分けしてもらった そのアロエはわたしが中学生まで習っていたピアノ教室で当時の先生からもらったもので、もう10年以上家にいることになる そのアロエとのエピソードはほとんどない(アロエは常に庭、わたしは家の中にいたし、アロエは匂いもなく非常にひっそりと過ごしていた)のだが、ここにきてそのアロエの一部が苗字が変わったわたしの新しい家についてくることになったのだ しばらくは根がつくまでたっぷり水をあげて日に当てるといいらしい 

なんか、こうやって、何かを人と交換してあげたりもらったりするのっていいなあって特に結婚をしてから思う 植物の株分けは分けて増え、それぞれ別々に成長していく モノにまつわる経緯の物語や、そこから先の枝分かれしたストーリーを持つもの、という点にとても惹かれる 家の中やいつも身につけるものがなにかわたしにとって大切なストーリーがあり、そんなようなものをたくさん増やしたいと思うのはなぜ?

 

02.おばあちゃん

二日、母におばあちゃんへ電話してねと言われていたのに結局四日になった 年賀状をくれたので返事を書いたら絵柄が楽しみと言われて心が痛む 来年は絶対作って送ろうと思う(ところでイラストレーターの方々の年賀状がとてもすてき、特にunpisさんのアイデアが記憶に残った わたしはちびくろサンボの溶けちゃう虎でなにか作りたいと思っていたが、何人かそういう着眼点の方がいた) 今は大根が収穫できる時期らしく、送ってくれると言われた 夫に報告したら俺たちからも何か送る?と言われた ひとになにかを分けるという行為がこんなに気になるのはなんでなんだろう?

 

こんなふうに、もちものに対してなにか理想がわたしにはあるように思う というか自分がなにを持っているかや、なにを捨てるのかに対してかなり意識が通じている気がする それはなにかを買うことも同じ いまのところ、物々交換がすきだと思う もっとひとと物々交換したいので、なにかを譲ったりプレゼントしたいな