ファン心理について

今の会社は半年くらい前に入ったばかりだが、おそらく会社の人にどんな人なのか全然わからないと思われてそうだし、今までも結構そうだった。面接でもよくどんな人かわからないと言われるんだけど、自分でも自分がどんな人かわからないし受け取ってもらった印象のままでいいと思っている。放置しすぎなんだろうか。だから今までは無意識に死ぬほど明るく振る舞ってとっかかりを作ってきたように思うが、もう他人のためにエネルギーを使うのが結構ダルいのでなんにもしなかった結果、謎の人になっている。ちょっと困ることもあるが、わりとどうでもいいのかもしれない。端的に言えばコミュ障なんだと思う。

その流れで会社の人に「すきな有名人とかいないの?」と言われた。わたしは私生活や嗜好が見えにくいらしい。「いないです」と答える。わたしはいままですきな有名人がいたことがない。ジャニーズにもハマったことがない。顔が好きだな〜とかはあるが、いわゆる「推し」がいる人のようにその人が輝いているとわたしも頑張れると思った経験はない。いままで「すきな有名人」を聞かれて誰も思いつけず、なんで誰もすきになれないんだろうと悲しく不思議に思い、常にうっすらそれについて考えていた。

先日、とても久しぶりにすごく気になるひとができた。偶然見つけたブログで、その人のTwitterのアカウントも見つけ、わたしは久しぶりに静かに興奮した。Twitterをフォローしたらフォローし返されてドキドキしたり一回だけ勇気を振り絞りリプライを送ったりした。その人は昨日、新しいアカウントを作りましたと告知をしていた。即見に行くと鍵がかかっていてフォロワーはまだ10人、しかも相互フォローだった。今見ているアカウントよりさらに私的(もともと整理されているがかなり感情を詳細に記録してくれるタイプの人で、わたしはそこが大好き)なものらしく、すごく迷ったがフォローした。するとすぐにリフォローとリプライがきた。わたしはふとんのなかで「わっ」と声に出た。

 

ここまでの経緯があり、わたしは自分のファン心理を完全に理解した。わたしは誰かのファンになるとき、かならず入り口が散文なのである。だから、見た目がすきなだけでも作品がすきなだけでもダメなのである。その時点ではまだわたしはその人の見た目が好みなだけだしその作品のファンに過ぎないし、そこまで追いかける気にはなれない。パーソナルなものがその人の言葉で語られているとき、はじめてわたしは誰かのことをすきになるんだと理解した。だから対談も大好きだし、エッセイも大好きだ。でもエッセイストのファンになれないのは、もっと感情をさらけ出した生々しいものを見れないと信頼できないからなのかもしれない。信頼とはこの人がこの世に根ざしていることや、この世界に同時に存在している実感みたいなものだと思う。結局、わたしは誰かの一面をつまみ食い的にすきになるのは得意だが、すべてをひっくるめて応援できるような愛の人ではないということかもしれない。悲しいね。

 

でも恋愛はまた別なのが不思議。対面とバーチャルの違いってものすごい力の差があるなあ〜

コテンというひとたちのラジオを最近聴いていて、すごい面白いので夢中になっている。すぐ影響を受けて、勉強した〜いとか思っている。ガンディーについて詳しく知りたい!