ポイント

 

楽天のスーパーセールに合わせて物欲を沸き立たせたり鎮火させたりしている。楽天ポイントという買い物の際に生じる副産物が生活にとって重要な位置を占めはじめている。おかしい。完全におかしい。そもそも楽天スーパーポイントは金ですらない。楽天のサービスを利用した際のおまけとして付与される概念である。昔はポイントを貯めたりそのためにポイントカードを持ち歩いたりするのが死ぬほどめんどくさくてすべて捨て置いていたのだけれど、夫の影響で毎日ポイントをもらうためにコツコツ広告の動画を見たりしていて、わたしって誰だっけ?

買い物をするたびに家に死ぬほどモノがあるのに、なんで毎回こんなにたくさん買うものがあるんだよと思う。あまりにたくさんのモノを持っている人は精神的にダメージを負っているらしい。こういう話がすきだ。特に何をたくさん持っているかでその個人が何に寂しいのか、足りないのかわかりそうな感じがするのもおもしろいと感じる。さみしさは恐ろしいしどうしようもないものだ。特に、うれしいとさみしいはどうしようもないと感じる。楽しいや怒りは割とその辺に転がっており、それぞれ見つけるポイントがあるがうれしいとさみしいは自分だけでは得られない。人間関係の間にしか生じ得ない感情のような気がする。

 

 

子どもの感性

クイーンのボヘミアンラプソディを労働帰りの電車で聴いていて、ふと自分がこのサビ前のパートを聞くためだけに何回もこの曲を聴いていることに気付く。この曲の魅力がサビ前パートとオペラパート以降のコントラストにあることはなんとなくわかるんだけど、とにかく「mama〜〜!!!!!」を聴くためになんども聴いてしまう。このオペラパートありきで曲を聴いているからこそ、よりわたしのだいすきなサビ前がより輝いているんだけど、この曲について語るときはたぶんその背景を無視してしまう。そのような消費の仕方はなんというか子どもだなと感じる。

 

小さい頃から、どうなりたいかっていうことばっかり考えていたように思う。職業とかではなくて、どういう性格でどういう部屋に住んでいて、どういう生活をしているのか、ということばかり考えていた。たぶん、わたしにはいつも理想がある。そして、そのことばっかり考えていて、今この瞬間には全然注目していない。もしかしたら仏教について勉強するといいのかもしれない。そしたら今この瞬間に集中できるようになるのかもしれない。そしてすべての苦しみから解放されるのかもしれない。最近はやっと、理想を現実の世界に持ちこむための行動ができるようになった気がする。大学生の頃は、自分の行動と現実の変化の関係について、経験があまりにもなくてずっとうだうだ考えて終わるというのを繰り返していた。特に、人に対して気持ちを伝えたりアクションを起こすのは今も引き続き苦手である。あまりにも頭でうだうだ考えるのでストレージをクラウドに移す感覚で日記を書いたり、文章を人に読んでもらったりするようになった。

 

今年のテーマは「おとなになる」だなあ、と今年が半分終わって感じはじめたので、今週は積立NISAとじぶん積立についてそれぞれ金融機関に相談の予約を入れた。お金と時間を、せめて人並みくらいに管理できるようにならねばならぬと常々思っている、ほんとにずっとできない!

明治安田生命の相談窓口は東京駅が一番近かったので仕事の前の朝九時に予約。久しぶりに丸の内を歩いたら、もうすべてがきらきらに輝いて、すばらしい一日が始まりそうな予感で満ちていた。美しい場所にいるとかなり浄化されるタイプなので、働く場所や自分が身を置く場所についてもっと吟味したい、そのような力を社会的に持ちたい(お金)

明治安田生命の相談窓口は古い建物の中で、建築に疎いのでよくわからないけどアールデコというか、海外の文化が日本にやってきたころのような装飾たっぷり趣きたっぷりの場所だった。貴族のダンスホールのような天井が高くて広い場所にミスマッチすぎる事務的な仕切りのカウンターが並んでいた。お姉さんに保険について説明されるうち税という仕組みにも軽く触れるシーンがあったのだが、ほんの少し明かされた情報だけでわたしが今まで税という制度に支配され金を垂れ流していることに気付き愕然とした。おそらくこのようなルールが無数になんのお知らせもなく適用されているのだろう。絶句………。全然稼ぎないけど、マジで節税するぞという熱い気持ちになる。お金の知識がないから搾り取られてるんだよなぁきっと、自分でもわかるけど性格上、行政的なやりくちとの相性悪すぎる。細かいルールとか法の抜け道とか全くわからないタイプなので、お前らのルールでバトルしてやんよ!という少年ジャンプのノリで税へのモチベーションが上がっている。

 

今わたしがしたい生活は夫とたくさん時間を過ごすこと、家族にも顔を二ヶ月に一回は合わせること、友だちとたまにおしゃべりしたりすること、いつか余裕ができたら犬を飼って大切に育てること、うつくしいものに囲まれて過ごすこと、でもその全てを支えるのがお金であり、お金には税というゲームの難易度を上げるルールが課せられているのだ………

うらやましいひと

大学生のとき、友だちから紹介されたバイトで荒稼ぎしていた時期があった。内容は街の電気屋の入り口あたりで景品の当たるガラポンを来た人全員にやらせまくり、景品を渡し、その隙に社員が携帯電話の勧誘を行うというもので、バイトがやるのは大声を出す(そしてガラポンをやらせる)ことだった。なぜか電気屋は服装規定がめちゃくちゃ厳しいので髪の毛は黒染めスプレーでカチカチに固め、スーツを着て働いていた。爪も少しでもピンクだったりピカピカしていると怒られた。わたしはバイトに対して最低限やって即帰る方針を取っていたので、ハイハイと思って適当にやっていた。与えられた業務以上に頑張る気は全くなかった。遠い店舗に行くときに空港に行くときのようなバスで移動できるのがちょっと楽しみだったり、変なラブホが近くにあるとか、その辺の子どもと喋ったり、そんなことばかりだった。

誘ってくれた子は高校の同級生だった。一年生のときにクラスが同じで仲良くなり、部活も同じで、ものすごくおもしろくて人望もある子だった。数学で確実な赤点を取ったときにお母さん(めちゃクセ強い、カレーがおいしい)への恐怖から他の子のテストを借りて名前を書き換えて見せていた。高校ではずっと一緒だったけど、働いているところは見たことがなかった。そんで、驚いた。彼女は社員がやる携帯電話の勧誘について完璧にマスターしていた。景品コーナーに案内する際、アンケートの間際にもう勧誘を始めていた。別に誰もそれをやれと言ったわけでもないし、時給が上がるわけでもなかった。ただ彼女は、社員に教えてくださいと頼みスクリプトを作り練習し、自ら売り込み要員として活動の幅を広げていたのだ。そして、シフトが被ったときにはびっしり細かい字で書かれた手書きのメモを渡された。「もし困ったらこれを見れば携帯の勧誘わかるから!」と言われた。通常、業務は募集がある店舗に都度出勤希望を出すのだが、彼女はいろんな店舗から指名が入っているようだった。そりゃそうだ。

 

彼女は社会人になってからもすごかった。彼女の仕事は新規開拓の営業だった。とにかく電話をかけまくり、担当者に死ねと言われても「生き返りました!」と即かけ直し、飛び込みで訪問してドアを閉め返されても瞬間開け返す。一番ヤバいと思ったのはインフルエンザで出勤停止になったときテレアポリストを持って帰って家でテレアポをしていたというエピソードである。それは休みなよと思った。

 

別に彼女は最初から営業がしたい!と思っていたわけでもない。携帯電話が売りたかったわけでもない。でも、いつだってめちゃくちゃ頑張れるのだ。わたしは大学生のとき彼女をみて「こんなに頑張れる人っているんだ」と思った。だってバイトだよ?!時給が決まってて、責任なくて、とりあえず与えられたことをやってればお金もらえるよ?!と思っていた。それと同時に、わたしもまあ社会人になったらしょうがなくやるんだろうと思った。さすがに周りの圧力に屈して自主的に勉強したりせざるを得ないだろうと思っていた。

 

でも違った。わたしはやらなかった。大学を卒業してすぐ、わたしも彼女と同じく営業職として就職し社会人(ていうか社会人てなんだよ、学生の頃もふつうに税金払ってたんだから社会に参加してるだろうが)の火蓋が切られた。就職先はインターネットの広告営業だ。WEB広告の効果計測はさまざまな専門用語があり、それらほぼ全てがカタカナである。覚えるのにめちゃめちゃ苦労した。また効果計測はすべて計算によって数字で弾き出される。高校二年生で今後二度と数学と触れ合わなくていいと思っていたので絶望した。あと何回教えてもらっても計算がよくわかんなかった。会社についても、その業務がすごくやりたい!というわけではなかった。インターネット広告にもそんなに興味がなかった。でも人事のひとがおもしろいし、最初に受かったし行っちゃうか、と思って行った。アプリ広告の部署に配属となった同期も頑張っているし、わたしも頑張ろう!と最初は意気込んだ。基礎的な計測用語やルールを覚えるのはもちろん、コロコロ移り変わる広告ツールや、効果計測基準、システムなど、ニュースやFacebookを追っていた。でも全然おもしろくなかった。わたしはたぶん、三ヶ月くらいでもう飽きて勉強するのをやめた。そもそも携帯ゲームをやったことがなかった。先輩たちは別に元からゲームが大好きというわけでもなかったが、みんな当然のようにランキング上位のものや担当しているアプリで一通り遊び、そのアプリがどのように課金させる仕組みなのか、他社の広告は何が出稿しているのかなどをチェックしていた。もちろんわたしもやりなよ、と言われたが結局一回もやらなかった。携帯ゲームに時間を割くのは無駄だと思っていた。だって絵だもん。あと、業務時間外に興味のないことをしようという気が一ミリも起こらなかった。自分のためなのはわかっているが、まったく興味がないことにわざわざ主体的に時間を使う気が起きなかった。普通に数値計算で効果測定をして戦略を練る広告運用という業務が向いていなかったのもあるが、それにしても頑張ってなかったと思う。

広告運用は土日に効果が上がるのとアプリのリリースはだいたい土日のため担当アプリのイベントやリリースが重なると土日も運用をしなければならないことがあった。そういうとき、わたしは泣きながら運用をしていた。わたしの大切な人生の時間のうち一週間の七分の五を仕事に使っているのに残りの二も好きでもない仕事をやらねばならないのかわからず悲しくて泣いてSlackで即報告してまた泣いた。

もちろん業界にも業務にもまったく興味がなく、なにがどうなろうとマジでどうでもよかった。よって営業としてのノルマである営業目標についてもまったくどうでもよかった。達成できなければ仕方ないし、達成できても今月はいけたのか、フーンと思っていた。

 

こんなことをしていても時間の無駄だと思って仕事は一年半でやめた。そしてずっと通いたかった学校に行くことにして卒業、転職し今に至る。わたしは今、仕事で感じる「悔しい」をはじめて理解しているところである。できなくて悔しい、もっとできるにはどうしたらいいんだろうとか、自分の足りないところはなんなのか、切実に考えるようになった。先輩の仕事がうらやましかった。そして、もっとできたら絶対にたのしいと思えるようになった。みんなこんな風に感じてたからあんなに頑張れてたのかなと、少し思った。

 

 

例の彼女はちょっとすごすぎるが、みんなきっとものすごくやりたかったこととか自分に向いている仕事、というわけではない仕事を毎日やっているんだと思う。新卒で自分にぴったりの仕事を選ぶなんてことは、よっぽどインターンをやり込むか、運がいいかなどちらかのように感じる。それでも、みんな五年六年と年を重ねて仕事をしている。休みの日に時間を割いて勉強したり、自主的に頑張っている。そういうひとがわたしはうらやましかった。そういうひとは、どこに行ってもなにをしても必ず頑張れるから。わたしは頑張れなかった。頑張れないからやってみたいことを考えて仕事にしてみるしか選択肢がないと思った。

友だち

 

友だちが結婚した。というより、毎年友だちが結婚しまくっている。同じサークルだった友だちがひとり、また結婚した。どうやら近所に住んでいるらしいと、SNSを通じて知った。そして昨日、彼女の結婚式があったらしい。当時同じサークルの同期だった女の子が何人か出席していた。わたしは招待されていなかった。少しだけ、寂しいような気持ちになったが誘われていたら誘われていたで困っていたと思う。サークルには正直いい思い出はほぼない。飲み会が楽しかった記憶もない。わたしが大学時代、夢中になったのはあるひとりの男の子と文章を書くこと、写真を撮ることの三つだけだったように思う。もちろん大切な友だちもいて、今も仲良しだけれど、サークルの中にはそのような感情はなかった。

サークルの空気が嫌だった。付属の男子校から上がってきた声の大きい男子生徒が自分たちの価値観でサークルを支配しているのが本当に嫌で仕方なかった。その中で女子は片隅に収まり、いわゆる華として振る舞うのが一番スムーズな方法だった。当時のわたしにはそれらに対する感情を言語化できるほどの知識がなかった。わたしの感じていたものがフェミニズムの一端であることや家父長的価値観への嫌悪であることを知らなかった。それを知ったのは大学を卒業してから二年後、フェミニズムに関する本を数冊読んでからだ。すべてが腑に落ち、そのとき初めてわたしはあのサークルの人たちが嫌いだったことに気づいた。そもそも嫌いだったこともわかっていなかった。学校から卒業して就職し、その就職先をやめて、ようやく気付いたのだ。気付いたとき、当時嫌いだったひと達はもう交友関係の範囲内には誰一人おらず、SNSでうっすら繋がっているだけだった。

 

誰かを嫌いだということに気付けない(というか、認めたくない)のはわたしがフェミニズムを知らなかった点とはまた別の問題だ。性格的なものだと思うけれど、あまり人間関係に労力をかけたくないというか、自分から誰かを誘うなんてことは滅多になく、人間関係において自分からアクションを起こすことがほぼないのは人間関係に対しての体力があまりないからなのだと思う。故に環境が変わると人間関係ががらりと変わってしまう。エスカレーター式の大学に行って本当によかったと思う。そのおかげで今も連絡の取れる友達がいる。たぶん大学受験をしていたらほとんどの人と関係は切れていただろうと思う。

人間の気持ちがどのように動くのかについては人より興味がある自負はある。大学生のとき、小説はその一環として書いていた。もちろん登場人物は当人の考え方に沿って行動するので、その人物をコントロールしきれないところもあり、苦労もしたがとてもおもしろかった。おそらく、人間には興味があるが人間関係には興味がない。

そもそも自分の感情についてあまり理解していないというのも大きい。mbtiやストレングスファインダー、エニアグラム、ビッグファイブ、西洋占星術など、あらゆる自己診断や有料の診断を受けたりしている。内から見た自分がわからないので、外から見た自分で自分を理解しようとしている。だから、わたしには明確な自分らしさ、みたいなものはあまりわからない。時と場合にもよる。わたしは読んでいる本の文章に書き方が似てしまう傾向がある。それは対面でも同じで雰囲気に染まりやすいのと、どうやら相手のムードをコピーしてしまうらしい。一緒にいる人がイライラしていると、こっちもイライラしてしまう。もしかしたら、このコピー性質が自分の想像以上にエネルギーを使っている原因なのかもしれない。しかも、わたしは人間関係にエネルギーを使っている事実を実感としてまだ理解していない。すべてが無意識下で行われていて、意識上は人といるのもおもしろいし一人でいるのもだいすきだと思っている。でも事実としてあまり積極的に誰かと過ごそうとは思わない。具体的な頻度として、半年に一回くらい、あの人に会いたいなと思うこともあるが、そこから連絡をとるかは別である。親や兄弟、夫がいなくなって、いつか本当に一人になったとき、わたしは孤独死するのではなかろうかとたまに思う。

 

小学生の頃「友だちの中でランキングをつけてよ」と言われることがあった。女の子はみんなそうなのだろうか。わたしはその頃から明確に好きの度合いを測れるほど友だちを区別していなかったように思う。というか「友だち」というステージは国立公園のような施設で、公序良俗に反しない限り誰でも入れる場所である。そのデカい公園の中に小さい家があり、プライベートであるその家に入るための鍵を渡す基準が厳しい。だから区分けをしているけれどナンバリングしていない。結婚式がなんで嫌かって、そんなものにお金をかけてもしょーもないと思っている(あんまり誰にも言えない)のはもちろん、友だちを選ばなきゃいけない苦痛がある。誰と会いたいか主体的に選ぶのが苦痛すぎる。もしかしたら相手の時間に対して責任を取れるか考えてしまうのもあるかもしれない。

まあ公園にはいつだって誰だってウェルカムなのだが例えば休日時間を割いて誰かと会うとなると話は別で、誘われたら行くのだけれど自分からは滅多に誘わない。小さな私の家の鍵を開けることに対して無意識下でものすごく警戒心があるので、家に入れるのは本当に気を許せたひと(夫など)と無理矢理入ってくるずうずうしさを持ち合わせたひと(そういう人はありがたい)くらいしか入れられない。そしてずうずうしさを待ち合わせているひとへの憧れが常にある。オチなし!

 

 

 

☆☆☆

 

 

SNSで繋がっていない人のほうが、なんとなく記憶として深く刻まれているような気もする。そしてロマンチックだ。「百万円と苦虫女」の鈴が家族に手紙を書いたり、恋人に公衆電話で連絡しているところを見てうっとりする。わたしに高校以前の友だちというのはほとんどいないが、たまに思い出して懐かしく会いたいと思うのは、ほとんどSNSで繋がっていない人だ。実際、そんな勇気もパワーもないのだけど。

 

夫紹介の美容室に行って、久しぶりに映画や音楽やなんていうかカルチャーの話をしておもしろかった。おそらくわたしは一生サブカル女なんだと思う。渋谷でフラワーデモがやっていた。新しい髪型とパーマのにおい。

おとなだけど普通に泣きます

ついに泣いた。入社二ヶ月でついに泣いちゃいました、今日は任されてることがあんまりないな〜ってなったら、みんなが一斉に仕事を振ってきて、それがはじめての業務ばかりで、知らない案件も多くて、時間配分もできないし作業も遅いし締め切りはやいし焦って何が何だかわからずもうなにも終わってないけど帰ることにした 夫の顔をいっぱい思い出して泣きそうだったけど我慢してエレベーター乗った瞬間ぽろぽろ涙出て、すぐにラインして、そしたら最初だからしかたないよ、お味噌汁あっためて待ってるねって返事が来てまた泣いちゃった あーあ、明日仕事終わるのかなあ、今日十時に来て八時半に帰ったけど、ぜんぜん休憩とってないしなんかもうやになっちゃうよなあ、席で急いで味噌汁食べて仕事してぜんぜんおわんないし、かなしい気持ち、こんなの続かないなって思っちゃう、生理前だったらいいなあ

 

 

「もう俺は恋愛してないけど、生活してる!そのほうが恋愛より大事!」って言われた。言われたあとはちょっとさみしいなと思ったけど、そう思ってる夫のことを好ましい人だなとも思った。

 

夫に出会って、すごくすきになって、なんだかほんとに、初恋みたいにすきになって、ラインがくるたびに枕にアーッてするみたいなそんなふうな好きで、付き合って、わたしは自分が知らない気持ちがまだまだたくさんあることに気がついた。もう二十歳を過ぎて働いているのに。なんでこんなふうに笑う/怒る/泣くんだろうってことがたくさんある。夫からもらったものが多すぎて、たまに夫と出会ってなかったらどうなってたのかなともう一つのほうの道を想像してしまうくらいには、ある。

付き合ってすぐ、朝起きてすぐぎゅっと抱きしめられたり、肩をつるつる撫でられたり、わたしのことを見るまなざしを思い出したりすると、それがあまりにも遠くて大切で泣いてしまう。そういうものをくれた人が今一緒にいることが幸せすぎてわたしには受け止めきれなくて、受け止めきれなかった分が涙として出ている。

 

夫は、わたしが自分でやりたいことをひとつきめて、その過程で出会ったひとだ。端的に言えばそれはキャリアプランというもので、その道筋の中でわたしは全く恋愛をする気もましてや結婚をする気もなかった。結婚なんてものは最も自分に向かないものだと思っていた。自分のやりたいことをやるのに、誰かの人生を半分もらうことは失礼だと思っていたし関係を維持できる自信もなかった。でも、夫はそんな予想をはるかに超えてきた。夫自身が越えようとして越えてきたのではなく、今までの自分をはるかに凌ぐ感情をひとに向けることができるのに気がついた。夫はすごいと思った。でも振り返ると、道すじを決めて実行した自分こそ、すごいのかもと今なら思える。本当にありがとう自分。

 

百万円と苦虫女」を観た。Netflixでたまたまみつけた。色んな映画を観て、こんな道すじの選択肢をとってみたかったと思うことがたくさんある。もし大学生に戻れるなら休学して一年間やってみるかもしれない(それは自分のキャリアのためというより、内的人生のための行為に感じる。自分自身の生活や価値観に紐づく経験を積むようなイメージ)。でも、今の夫と一緒に過ごすことをやっぱり選ぶだろうなと思う。そのような考えるまでもない指針を得られたというのは、凪いだ大海原で絶対に狂わない方位磁石を得たような心強さがある。