必然性

 

「アルファベットのセリフがなぜついたのか、ご存知ですか。セリフは柔らかい大理石に文字を刻む際、掘ったところから石が割れないようにあらかじめ掘る場所に横線で傷を入れておいて、それ以上割れ目が大きくならないようにしたものなのです」


実用性に応じたかたちにわたしはかなり感動する。今日、学芸員のひとが言っていたアルファベットについてがまさにそれだ。過去の軌跡を何の疑問もなく踏襲していたことを知ると、なんとなくはてしない気分になる。そしてすごく疲れて、ああ椅子に座って休んじゃおうかな、とか思う。ハードウェアに対応するための目的を持ったかたちは、その成り立ちや存在に説得力がありおもしろい。たとえば印刷は富裕層だけのものだった知識を全体へ行き渡らせるためのテクノロジーだった。だけれど今の印刷技術は、芸術的な側面が大きいように感じる。それは電子データで情報共有ができるようになった今、わざわざ「印刷する」という行為や、印刷によってうまれる現実のかたち(紙に乗った色情報)が情報伝達の意義を失いつつあるからだ。人がその技術を手放しても大丈夫になってやっと、その技術が芸術になっていく。浮世絵は今でいう雑誌のような立ち位置だったが、今では一枚の芸術作品だ。情報媒体としての価値を失ってから、その技術の芸術としての命がひかりはじめる。

現実的な意味を持ったかたちだけが時代を超えて踏襲されるのであって、そのためそれらには副産物として永遠のいのちが宿る。かたちが生き残るには意味が必要だが、かたちの美しさは利用価値があるととにかく見えづらい。
これからは一体何が美しい様式になっていくのだろう。サイトの上の方についてる 三 ←これとかなのかもね。