インナーネイチャーギャング

 

この間、めちゃくちゃに泣いた。恋人と二週間ぶりに会った月曜日に。「お酒最近飲めなくなっちゃったんだよね(ほんとうに、すごく弱くなった)」と言ったら「それはもともとお酒が飲めるひとが言うセリフでしょ」って言われて、それで号泣した。意味がわからない。(網を替えてた店員含め)その場にいた全員混乱していたと思う。泣いているひとをみると誰もが焦るのはおもしろい。その人が焦れば焦るほど、おそらくその人が泣く理由は切実なのだろうと想像する。

 

泣いた記憶と距離をとってあらためて理由を考えてみると、おそらく言葉の意味をうまく伝えられなくて、そのむずがゆさに泣いた。わたしは当社比での飲酒量の話をしていたのに恋人が他社比較すべき、と言い、当社比で話をさせて、というのをうまく伝えられなくて泣いた。赤ちゃんか?(赤ちゃんは自分のままならなさに対して怒りながら泣いているのかもしれない。口語訳したら「だーかーらー!!!」ってずっと言っているのかもしれない。本当はこの世の真理を全部知っていて、でもそれをこの世の言葉に翻訳することができなくて、それをどんどん忘れながら大人になるやるせなさに泣いていたらおもしろい。)

泣いた理由はうまく伝えられなかった、ただそれだけ。もちろん普段そんなことでは泣いたりしない。むしろわたしは普段あまり感情を見せないほうだ。つまり、みんなが困るような感情は見せないようにしている。というか、見せる勇気がない。自分の感情の重さをひとに委ねる勇気が。荷物を持つのを嫌がるかもしれないから、だから、無防備に不機嫌なひとを見ると、きっと愛されてきたのだろうと思う。その荷物を持ってくれていた誰かが彼の周りにいたのだろう。だから自分が泣いてしまったり怒ってしまったりしたときに、わたしはまず人前でそれをしてしまった自分に動揺する。

 

それは恋人の前でも同じことだった。
でもこのあいだの月曜日、わたしは焼肉屋でボロボロ泣いた。そんで泣きながら、恋人は確実にわたしの内側に入り始めている、とわかった。その事実に感動してまた泣いた。恋人を眺める視線が外側の人間を見つめるものから、内側の自分を見つめるものに変化していたことにまったく気付いていなかった。これからわたしはどんどん恋人の前で重く、めんどくさく、感情的な女になっていってしまうと思う。そんなものは見せたくはなかったが、だってあの人はわたしの内側にいるのだから仕方がない。

 


ここまで考えた翌日に生理が来たので、人間の知性ってほんとうにしょうもないなって思いました。自分で飼い慣らしたネイチャーに殴られ続ける人生………目の前のおばあちゃんが一通のメール(ワークショップの見学参加希望)を作るのに五分以上かけていて、アリの巣の観察を見るのと同じ気持ちで見守る。