消滅可能性都市

一月のはじめ、旅行ではじめて山口県にいった。飛行機に乗るのもひさしぶりで、関東から出るのもひさしぶりだった。二泊三日だったが天気にも恵まれた。下関では200円でぷりぷりのウチワエビやとろとろのノドグロの炙り、口の容量と同等のクエの刺身(喉に詰まらせた)、当たり前のようにどこの店でも飲めるふく汁(山口ではふぐのことをふくというらしい)を飲んだり、そもそもそこかしこにひろがる海がどこもとても綺麗だった。そりゃー海鮮おいしいよ!角島大橋も、角島の海岸も、緑がかった透明な青ですてきだった。元の隅神社では大きな岩の崖の上にひとつだけお墓があって、それが心に残った。夫が崖のあまりにもギリギリに立つので本気で死んじゃうんじゃないかと思ってそわそわした。地元の居酒屋では地酒(獺祭がめちゃくちゃおいしかった……)と「きんたろう」というキンメの揚げ物を食べた。この地域ではよくある居酒屋メニューらしい。めちゃくちゃ酔っ払って寝た。

二日目は萩の街を観光した。偉人の生家などの文化遺産が多く、街全体に昔のままの建物や街並みを保存しておこうという意志があった。伊藤博文の家と松下村塾を見る。昔の家はとにかく庭が広い。広いのだけどすべての部屋の仕切りがゆるくてモンドリアンの絵のような四角の中に四角を詰めて平面構成しているような感じ。松下村塾は思ったより小さかった。神社と一体になっていて、どこも古いけど丁寧に掃除をされていた。わたしが外国人だったら「日本のうつくしさ」みたいなものを体感で理解できるような良さがあった。たとえばやや下を見つめる菩薩の目、凪いだ水面、さらさらで透け感のある障子の質感。普通の民家も、大きな蔵や昔の家独特の四角い平面構成みたいな窓、年季の入った深い飴色の木の壁がならぶ。あとなぜかこの地域ではどこも瓦の色がオレンジ色だった。萩焼きと関係があったりするのだろうか。あとはよくみかんが木になっているを見かけた。名産物だそうだが、普通のひとの家でもみかんを育てているのが印象に残った。そこから出て秋吉洞に。カルデラの風景はすこしモロッコを思い出させる。ずっと先まで何もない景色、実はそんなに見たことがないのかもしれない。秋吉洞はとにかく深くて広くて、洞窟内は明治初期に初めて調査されたらしく、こんな広い場所が明治時代までひっそりしていたのかと思うと冒険て案外どこにでもあるのかもしれない。萩がわたしにとって異国であるなら秋吉洞やカルデラ異世界という感じ。宿でフグのフルコースを食べる。食べ物がずっと美味しい!

三日目は下関に戻り市場で寿司を食べまくったり、橋を渡って門司港まで行ってみたり、お土産をたくさん買って帰った。

 

 

山口県はふだん暮らす関東圏とは全く違う場所だ、と思える景色や食べ物がたくさんあったように思う。とくに街中にちらほら見かけるみかんの木に、その印象を持った。

空港のまわりは全国展開のドラッグストアやらチェーンの飲食店(長崎ちゃんぽんがたくさんあった!)が多かったけど、海のそばや山間では家がぽつんぽつんと並んでいるだけのすばらしい景色だった。ただし、そういう場所はほとんどが消滅可能性都市だ。あまりにも人を見かけないので、この地域の空き家をすべて潰したら更地に戻るんじゃないかとも思った。情報がつながっていると便利をもとめてすべての場所が均一化していく。たとえば明治や大正のあたりの昔の旅行はかなり不便だとは思うが今の数百倍おもしろかったんだろうなとよく思う。ほとんど冒険のような感覚。前情報なしでおいしいご飯屋さんを訪れた先の宿で聞いたり、粗いモノクロの写真や文字でしか知らない場所を実際に体験すること。旅行ではその地域の条件に紐づいた食べ物や家や習慣などの文化をもっと見たい。一方で異文化が失われ均一化された場所には魅力を感じないが、人が住み生活する上ではそうならざるを得ないとも思う。古い日本家屋を美しいと思うと同時に不便と思うのと同じ。

特に萩の街では「すでに近代日本は自分にとって異国になっている」という感覚に衝撃を受けた。萩の街並みは新鮮でうつくしかった。これが日本なんだ、と感じた。普段見ているものとはまったく性質の違ううつくしさがあった。わたしだっていつも、日本にいるはずなのに。たぶんわたしが普段暮らす場所は、もう魅力ある日本の街ではない。きっと便利でつまらない場所。世界のどこにでも広がる名前のない場所になっているのかもしれない。

 

とにかく山口県に住むなら萩がいい、日本家屋を改装して丁寧に拭き掃除しながら暮らしたい。そのあとはお茶をいれてみかんを食べながらひと休みしたり。あと、わたしが山口県に宿を建てるなら五部屋くらいの小さな宿にして、器は萩焼きの器にこだわって地元の作家から買う。

 

山口で感じたこと、まとまらないな〜

たのしかったです。おわり!