2022

正月休みが終わった 

とにかくなぜか毎日ものすごく眠くてたくさん寝た 非常にスローな日々の中で、わたしは再び確実に人間ぽくなった ついでに言えば夫もおなじく人間ぽくなった ふたりとも脳みそが一段階つるっとしたようにずっとニコニコして、お互いにやさしく、いつもよりちょっとだけふざけていた こんなふうにずっと過ごしたいのにな

朝から晩まで働いてるときに日々感じる欲求は、寝たいとか休みたいとか帰りたいとか、マズローの欲求で言うと一番下のでっかい括りに該当するものばっかりでTwitterで「欲望は生きるちから」という文言を見たが本当にその通りである たくさん休んで頭が正常なうちに、なにかを感じたエピソードについてここに残しておく

 

01.お年賀、アロエの株分け

二日はわたしの実家に夫とふたりで挨拶に行った 夫は事前にわたしの家といとこの家にお年賀を買っておいてくれて、それを渡した 家ではたくさんのご馳走が出て、みんなで笑いながら食べた 帰りにお母さんはおいしそうなカステラをくれた 赤い包み紙で、両端に卵の形のシールが貼ってあった 

それと、帰り際にアロエを株分けしてもらった そのアロエはわたしが中学生まで習っていたピアノ教室で当時の先生からもらったもので、もう10年以上家にいることになる そのアロエとのエピソードはほとんどない(アロエは常に庭、わたしは家の中にいたし、アロエは匂いもなく非常にひっそりと過ごしていた)のだが、ここにきてそのアロエの一部が苗字が変わったわたしの新しい家についてくることになったのだ しばらくは根がつくまでたっぷり水をあげて日に当てるといいらしい 

なんか、こうやって、何かを人と交換してあげたりもらったりするのっていいなあって特に結婚をしてから思う 植物の株分けは分けて増え、それぞれ別々に成長していく モノにまつわる経緯の物語や、そこから先の枝分かれしたストーリーを持つもの、という点にとても惹かれる 家の中やいつも身につけるものがなにかわたしにとって大切なストーリーがあり、そんなようなものをたくさん増やしたいと思うのはなぜ?

 

02.おばあちゃん

二日、母におばあちゃんへ電話してねと言われていたのに結局四日になった 年賀状をくれたので返事を書いたら絵柄が楽しみと言われて心が痛む 来年は絶対作って送ろうと思う(ところでイラストレーターの方々の年賀状がとてもすてき、特にunpisさんのアイデアが記憶に残った わたしはちびくろサンボの溶けちゃう虎でなにか作りたいと思っていたが、何人かそういう着眼点の方がいた) 今は大根が収穫できる時期らしく、送ってくれると言われた 夫に報告したら俺たちからも何か送る?と言われた ひとになにかを分けるという行為がこんなに気になるのはなんでなんだろう?

 

こんなふうに、もちものに対してなにか理想がわたしにはあるように思う というか自分がなにを持っているかや、なにを捨てるのかに対してかなり意識が通じている気がする それはなにかを買うことも同じ いまのところ、物々交換がすきだと思う もっとひとと物々交換したいので、なにかを譲ったりプレゼントしたいな